「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(2−2)
折原 浩
2004年9月20日
承前――「“Beruf”をめぐるアポリア」節前半における「全論証の要」捏造
前稿「批判結語(2−1)」では、羽入書第二章第一節「“Beruf”をめぐるアポリア」冒頭から四ぺージ分の叙述(65-8)を取り上げ、羽入による論旨の展開を追跡した。そこで羽入は、@「倫理」論文の「全体」から「前半部」へと視野を狭め、A「古プロテスタンティズム」をルターひとりに限定し、B「意味(因果)帰属」を「語形合わせ」にすり替え、C(「資本主義の精神」の「意味(因果)帰属」を「職業義務の思想」の「遡行」で代替するという)「搦手迂回論」を持ち込み、D「例示」にすぎないフランクリンからの引用文の「趣旨要約」を、「精神」の「定義」と取り違え、Eその「意味内容」についても、徴表「義務づける思想」「エートス性」「一定の禁欲的特徴」を見落とし、それに代えるに、同じく「例示」にすぎないフランクリンの『自伝』から一語callingを抜き出して、F(「倫理」論文における語Berufの)「初出」と見誤り、Gそのコンテクストも、典拠『箴言』における独自の(たとえば『ベン・シラの知恵』とは異なる)意味合いも無視して、(バクスターでなく)ルターに直接「遡ろ」うとし、その遡行先についても、H「思想」と「語」とを混同して、(「ルターの職業観」節の主要部を占める)「職業思想」論ではなく、(冒頭一段落にかぎられた「トポス」の)「Beruf語義(成立史)」論に短絡し、I「精神」の構成契機をなす独特の「職業義務」思想の歴史的起源を、(18世紀フランクリン父子の“calling”と、16世紀ルターの“Beruf”との「直接の一致」という)「語形合わせ」に求め、羽入のこの虚構が(また突如、「前半部」から「全体」へと飛躍して)「倫理」論文の「全論証にとって要」をなすという、彼我混濁の主張を掲げるにいたっている。
もとより、ヴェーバーを「倫理」論文に即して批判しようとすること自体は、たいへん結構である。しかし、学問としてそうした企図を実現するには、まず、批判者が、当の「倫理」論文とはいかなる内容の著作か―――なにを主題とし、それをいかなる方法で解き明かそうとし、どこまで到達しているのか――、その「全論証構造」を、ヴェーバーの論述に内在して解読し、要約して提示し、そのなかに、自分が問題とする論点を位置づけて、ヴェーバーの「破綻」(を立証しえたとして)が、どこまでおよび、その業績をどの程度くつがえすに足るものかどうか、論証しなければならない。ところが、羽入の叙述は、形だけは――あるいは、抽象的には――そうした手順を踏んでいるかに見せかけながら、こと「倫理」論文の具体的内容におよぶと、「全体の要」と称して、主題に入る以前の「例示」と「トポス」(しかもそれぞれの注記)に短絡するばかりか、当該微小部分の意味解釈と方法理解でさえ、上記のとおり、いたるところで「見落とし」「混同」「取り違え」「すり替え」を犯して倦まない、いうなれば学部演習レポートの合格水準にも達しない、迷走の産物というほかはない。端的にいって、羽入には、「倫理」論文の中身も、ヴェーバーがそこで編み出した「意味解明」「意味(因果)帰属」の方法とその意義も、分かっていない(異議があるなら、反論するがよい)。分からないのでかえって、「怖いもの知らず」の「特権」で、見当ちがいの臆断を得意気に公表できるのであろう。
問題はむしろ、これほどの「論文」に、文献読解の厳密な訓練にかけては定評のあった東京大学大学院倫理学専攻が、修士/博士の学位を認定したばかりか、日本倫理学会が学会賞「和辻賞」まで授与し、さらに、京都大学名誉教授・越智武臣の不見識で無責任な推薦(越智に異議があれば、反論するがよい)を受けたミネルヴァ書房が、これまた定評のあった「Minerva人文・社会科学叢書」の一点として羽入書を公刊し、これを加藤寛、竹内靖雄、中西輝政、山折哲雄、養老孟司、江口克彦ら「PHP名士」が絶賛して「山本七平賞」を授与するという事態、そのようにして羽入本人にとっても不幸な虚像が「雪だるま式」に膨れ上がった経緯、しかも、そうした「ことの成り行き」を、大方のヴェーバー研究者を初めとする歴史・社会科学者が「見てみぬふり」をして、学者としての責任/社会的責任にもとづく批判ないし発言を回避している(1968-69年大学闘争以降、35年をへた)現代日本の思想・文化状況の実態、これである。この一点をとっても、世の中、ますます奇怪しくなってはいないか。責任ある当事者たちが応答しない以上、筆者は批判と責任追及をつづけるほかはない。そうすることをとおして、せめて、筆者が会得したかぎりの学問研究のスタンスを、とくに学生/院生の諸君に伝えていきたいと思う。
「“Beruf”をめぐるアポリア」節後半における「アポリア」捏造
7. 摩訶不思議「飛び移り直結論」――「意味(因果)帰属」の「語形合わせ」へのすり替えにもとづく思い込み
では、羽入は、上記のように虚構された「全論証にとって要」の箇所に、どのようにして「アポリア」を持ち込むのか。それがほんとうにアポリアなのか。
羽入は、ルターが『箴言』22: 29の「わざmelā’khā」を“Beruf”でなく“geschefft”と訳していた事実を挙示したのち、「したがってヴェーバーは、『箴言』22: 29のその箇所においてルターが“Beruf”という訳語を使ってはいなかったにもかかわらず、フランクリンの用いた“Calling”という表現から、ルターの“Beruf”という訳語へと『倫理』論文中において飛び移らねばならぬ、ということになる」(69)と主張する。しかし、どうしてそうなるのか、なぜ「飛び移らねばならぬ」のか、その理由が説明されていない。事柄そのものが、説明されなくとも分かるほど自明のことなのか。
ところが、18世紀のフランクリン父子が用いた英訳聖書では“Calling”と訳されている『箴言』22: 29の「わざ」を、16世紀のルターが、理由あって、(“Calling”に相当する)“Beruf”でなく“geschefft”で訳していた、ということは、歴史上ありうること、いな、フランクリン父子とルターとの(とりわけ宗教思想ないし宗教的背景の)差異と、双方を隔てる約二世紀間の歴史的変遷とを考え併せるならば、むしろ当然のこと、ではあるまいか。ヴェーバーが「倫理」論文によって捉え、説明しようとしている事柄そのものに、もう少し立ち入って考えてみると、「厳格なカルヴィニスト」(GAzRS, I, 36, 大塚訳、48、梶山訳/安藤編、95)と紹介されている父フランクリンが、そうした宗派的背景からして、『箴言』22: 29のbusiness(=geschefft)をあえて“Calling”と改訳した英訳聖書を使ったのにたいして、カルヴィニズムを「わざ誇りに傾く行為主義 Werkheiligkeit」として原則的に斥けたルターが、当の『箴言』22: 29には、あえて“Beruf”(=“Calling”)を当てず、geschefftで通していた、というふうに説明されるのではないか。ヴェーバーは、歴史・社会科学者として、そうした宗派ごとの差異と歴史的変遷とを念頭に置きながら、フランクリンの『自伝』から『箴言』22: 29を引用した箇所に、ルターはBeruf でなくGeschäftと訳していると、わざわざ不一致をこそ、注記しておいたのではないか。
さて、羽入のほうは、羽入書第一章で、16世紀イングランドにおけるBeruf相当語の普及という論点につき、現実の語義諒解とその流動的移行よりも、辞書OEDにおける項目分類にこだわって、ヴェーバーの「読み違い」を想定/捏造していた。とすると、ここでも、それと同じように、事柄ないし歴史よりも、「倫理」論文の字面(における没意味文献学的「語形合わせ」)に囚われて、宗派ごとの聖典解釈したがって語義/訳語の差異やその歴史的変遷を考慮に入れず、後代のフランクリン父子が聖典のある箇所を“Calling”で読んだからには、すでに二世紀前のルターも、そこを“Beruf”と訳しているはずで、双方の訳語が「倫理」論文中の「飛び移り」で「直接一致」しなければならない、と早合点し、この思い込みを、「アポリア」としてヴェーバーの叙述に読み込んでいるのではないか。この点は、突き詰めれば、「歴史が先か、文献学が先か」という問題に行き着き、「文献の記載どおりに歴史が進行しなければならない」という羽入の観念論(あるいは「拷問具」としての「没意味文献学」への固執)を明るみに出すであろう。しかし、ここではそこまで議論を詰めず、とりあえず具体的問題点として指摘すれば、羽入のこうした「飛び移り直結論」は、羽入書第一章では「唯『シラ』回路説」の形をとって現われていた、あの「言霊崇拝」の呪術的カテゴリー――ルターが『シラ』11: 20, 21で、「神与の使命としての職業」というBerufの語義を創始し、「言語創造的影響」をおよぼしたからには、歴史的・社会的条件を異にする他の「言語ゲマインシャフト」でも、みな一様に『シラ』11: 20, 21を起点としてBeruf相当語が普及し、ルターのばあいと同一の「言語創造的影響」をおよぼす、と決めてかかった杓子定規の生硬な論法――と同質であって、あのカテゴリーがこんどは『シラ』句ではなく『箴言』句の訳語(という異なった局面)に適用されているだけではなかろうか。
そういうわけで、ヴェーバーがフランクリン父子の“Calling”からルターの“Beruf”へと「『倫理』論文中で飛び移らねばならぬ」という「必然性」には、根拠がない。それはむしろ、「意味(因果)帰属」を「語形合わせ」にすり替えている羽入の思い込みで、それを羽入が、まさにここで、「全論証にとって要」の箇所に持ち込んだ――あるいは、本来筋の通ったヴェーバーの叙述(「遺物」)を、ⓐ原コンテクスト(「遺構部位の遺物配置構成」)から引き抜き、ⓑ羽入の「配置構成図」に移し入れ、ⓒ「アポリア」に意味変換した――のではないか。
8.彼我混濁の「自明の理」――短い注が「アポリアを解く約束」
ところが、羽入のほうは、ここですばやく、当の「必然性」の論証が済んだかのように、それが「自明の理」でもあるかのように、既定の前提として語り始める。羽入は、「ヴェーバーはもちろん[!?]、この事態がみずからの論証にとって致命的となりかねぬことを良く知悉していた[!?]」(69)という。しかし、「もちろん」と力まれても、羽入がなにを根拠にヴェーバーの「腹の内」を「良く知悉して」いるのか、当の根拠の提示がないので、理解しようもない。ただ、こう語ることによって、羽入が、羽入にとっての「必然性」をヴェーバー自身に読み込み、「ヴェーバーもまた、その『必然性』を意識して、同じく『アポリア』と解し、みずから『解決』しようとしたが、『解決』できずに『回避』した」という彼我混濁の決めつけ路線に踏み出した、ということは分かる。
羽入は、そのすぐあと、フランクリンの『自伝』からの引用箇所にヴェーバーが付した当の「短い注」を、「『箴言』22: 29。ルターは、“in seinem Geschäft”と訳している。古い英訳聖書は“business”。これについては63ぺージ、注(1)を参照せよ」と引用し[1]、なぜかここで――この参照指示だけで――ヴェーバーが、「読者に対し、このアポリアを後ほど解くことを約束した」(69)と決めてかかる。羽入自身は、自分の「アポリア」をヴェーバーの叙述に「含み込ませることに見事成功した」(67)と思い込んで怪しまないので、当然の訳語不一致にかんするヴェーバーの簡潔な事実挙示の注記も「アポリアを後ほど解く…約束」と映るのであろう[2]。
しかし、なぜ、この注記の文言が、そうした「約束」と解せるのか。かりにヴェーバーが、羽入の思い込みどおり、詐欺師ないしは(少なくとも、自分にとって不都合なことを隠す)知的に不誠実な学者であったとして、この注と、ここで予告されている「63ぺージ、注(1)」つまり「ルターの職業観」節第1段落に付された注3との間に、一方の語形“Calling”が他方の語形“Beruf”に一致しない「アポリア」が潜んでいると「良く知悉していた」とすれば、どうしてわざわざ、「ルターではGeschäftでBerufではない」と、自分を「アポリア」の窮地に追い込む、不利な材料を、自分のほうから積極的に提示したのであろうか。むしろ、ヴェーバーは、16世紀のルターではGeschäft、「比較的古いälter[3]」英訳聖書ではbusinessと訳されている事実と、それが18世紀のフランクリン父子では“Calling”に改訳されて出てきて、business(Geschäft)にも宗教的意義が賦与されるにいたっているという不一致を、隠すどころか積極的に提示し、この語形不一致にも表示される歴史的語義=意味変遷を示唆し、その思想的/エートス的背景をこそ、ここから一歩一歩解明し、本論に入って探究していくと(そういいたければ)「読者に約束」しているのではないか。そう解するほうが、はるかに自然で、「全論証構造」にも整合するのではないか。
ところが、羽入は、「この短い注は、“Beruf”に関する注にくらべ従来あまり注目されてこなかったが、重要なのは“Beruf”に関する注よりもむしろこの注なのである。なぜなら、“Beruf”に関するあの膨大にして難解な注を書かざるを得なかった、そのそもそもの原因となる事態がこの短い注の内に含まれているからである。“Beruf”に関する注における肝心の問題点が従来看過されてきたのも、この右の短かな注が一体何を意味し、いかなる奇妙かつ厄介な事態のことを指しているのかということに関して、研究者達がこれまで全く関心を払ってこなかったからにほかならない」(69-70)という。こう述べて、羽入は、当の「短い注」の意義を、抽象的に謎めかして読者の関心を掻き立て、他の「研究者達」はその謎を「従来看過」してきた、と自分の「独創性」をほのめかしている。しかし、では、当の「事態」とは、じつのところ、いったいなんのことか。この問いに、羽入はすぐ、「ヴェーバーにとっていささか厄介な前記……の事態は、結局、フランクリンが『自伝』において英訳聖書の正統的な言い回しからはややずれた“Calling”という語によって聖書の句を引用したこと、そして聖書翻訳には見当たらないこの表現を足掛かりとしてヴェーバーが宗教改革の父へとまで遡ろうとしたことから生じた事態である」(70)と答えている。とすると、ここに、「謎」の正体が、羽入自身の口から、問わず語りに語り出されている。すなわち、羽入は、「表現」つまり「語」を「足掛かり」として「宗教改革の父」つまりルターに「語形合わせ」という意味で「遡る」ことが、原著者ヴェーバーの企図であり、「倫理」論文の「全論証の要」である、という当初からの誤読/誤解を、ここにも持ち越している。その誤読/誤解にもとづく羽入の思い込みをヴェーバーに読み込み、そうした彼我混濁から、「膨大にして難解な注を書かざるを得なかった、そのそもそもの原因となる事態」「奇妙かつ厄介な事態」を捏造し、ヴェーバーに帰しているのである。
9.「同義反復論法」――「アポリア」から「アポリアの回避」へ
ここから、例の「同義反復論法」が始まる。つまり、フランクリン父子の用語とルターのそれとの不一致という当然の事態が、じつは「意味(因果)帰属」の「語形合わせ」へのすり替えにもとづく羽入の誤読/誤解から「アポリア」に化けているだけなのに――あるいはむしろ、まさにそれゆえ――、「アポリア」「アポリア」と「自明のこと」のように復唱され、畳みかけられる。そうこうするうちに、「倫理」論文を自分で解読して論旨を捉えてはいない読者/識者/論文査読者/「賞」選考委員は、そのかぎりで、いつのまにかそう信じ込まされてしまう、という段取りである。
「ヴェーバーは、このアポリアの意味を、『倫理』論文中において自らはっきりとは[!?]説明しなかった。しかしながら、前掲の短い注の内に目立たぬようにほのめかされている[!?]事態は、実際のところかなり深刻なものである。なぜなら、後に出てくる“Beruf”に関する注の内でヴェーバー自身も認めているように……、“Geschäft”という語も“business”という語も共に、“Beruf”とは異なり、『神から……与えられた使命』などというような宗教的観念は一切含んではいぬ言葉であるから」(70)。
「なぜなら」以下は、そのとおりである。しかし、それがどうして「深刻」なのか。羽入にとっては「アポリア」でも、ごく当然のことであってみれば、ヴェーバーもそれを「アポリア」に見立てて「その意味を、みずからはっきり説明する」必要などないし、だいたいそんな「意味」は思ってもみなかったろう。「目立たぬようにほのめかす」などと、いかにも詐欺師がやりそうな詐術めいたことを「ほのめかして」いるが、それは、羽入の脳裏には浮かんでいても、ヴェーバーの関知するところではない。さて、羽入は、つづけていう。
「フランクリンの『自伝』の一節からなるほど独語“Beruf”へと移行することはできる。しかしその聖書からの引用句『箴言』22: 29をルターは“Beruf”とは訳してはいなかった以上、そこからルターの“Beruf”−概念へと直接に遡ることはできない。フランクリンが『自伝』で引用した『箴言』の一節から、ルターにおける“Geschäft”という全く宗教性を帯びていぬ、ただ単に世俗的職業を意味するに過ぎぬ言葉へと遡ることはできても、ルターの聖書翻訳によって創造された“Beruf”という、世俗的職業を指すと共に
“神から与えられた使命”という宗教的含意をも含み込んだあのプロテスタンティズムに特有の概念へと遡ることは、したがってこのままでは不可能であることになる。」(70-1)
それは、そのとおりである。だが、それがどうしたというのか。同じことをなんど繰り返せば、気がすむのか。
ただ、羽入はここで、一行空けて、こう断定する。「以上がこの短い注の内に含まれているアポリアである」(71)と。ここに明示的に語り出されたとおり、羽入のいう「アポリア」とは、じつはアポリアでもなんでもなく、フランクリンにおける『箴言』22: 29の“Calling”から、ルターの“Beruf”へと、「語形合わせ」という意味で「遡る」ことはできない、というごくあたりまえの事態にすぎない。「アポリア」「遡る」といった語が、なにか「マジック・ワード」としてはたらいて、「意味(因果)帰属」と「語形合わせ」とのすり替えを隠蔽し、謎めいた印象を与えているだけである。
ところが、羽入は、このあとすぐ、「ではいかにしてヴェーバーはこのアポリアを回避したのか。われわれはここでようやく“Beruf”−概念に関するあの注を扱うことになる。このアポリアを回避するためにこそ、妻マリアンネをして嘆かせたあの長大な『脚注の腫瘍』……は書かれたのである」(71)と畳みかける。「アポリア」を既定の前提とし、その「アポリア」の回避に論点を移して、「ルターの職業観」節第1段落の注3が「このアポリアを回避するためにこそ……書かれた」と、ヴェーバーの執筆意図を「自明の理」であるかのように決めてかかる。そして、つぎの第二節を「ヴェーバーによるアポリアの回避」と題し、「前述のアポリアを回避するためのヴェーバーの議論が始まるのは、“Beruf”−概念に関する注の第二段落目からである」(71)と書き出している。ある注記の意図について、著者の叙述から証拠を引いて論証することなく、「アポリア回避のため」と決め込み、この独り合点をただただ反復力説して読者を誤導している、ととれないこともない。しかし、羽入が主観的に意識してそうしている、とまで主張しようというのではない。
小括
以上のとおり、「語形合わせ」論の平面に固執して離れられない羽入には、フランクリン父子の“Calling”がルターの“Beruf”に直接、語形一致しない、あたりまえの事態が、「アポリア」と映る。羽入は、さらに彼我混濁から、自分の先入観をヴェーバーにも推しおよぼす。ヴェーバーもまた、羽入の「アポリア」を自分のアポリアとして「解決を読者に約束」するが、それができず、「アポリア回避のため」、「膨大で難解な」注3を書いたのだそうである。このあと、羽入は、この筋書きに沿い、羽入の思い込みを、つぎつぎにヴェーバーに読み込んでいく。逆にいえば、ヴェーバーの叙述から羽入に好都合な語句を抜き出してきては、この筋書き(羽入の「配置構成図」)に編入し、並べ替えていく。こうして、第二節「ヴェーバーによるアポリアの回避」で、問題の注3につき、「アポリア回避」のための(できることなら)「詐術」、(できなくともせめて)「杜撰」な「操作」を「暴こう」というわけである。羽入は、この先入観に囚われて、注3についても、全六段にわたる叙述[4]を、ヴェーバー自身の論旨の展開に内在し、事柄に即して無理なく解釈することができない。自分が持ち込んだ「アポリア回避のため」の「操作」を「嗅ぎつけ」、嗅ぎつけられなければなんとか「こじつけ」て、「立証」しようと、むなしく奮闘する。その次第を、つぎに検証していくとしよう。
とまれ、羽入による以上の議論は、根拠なしに持ち込んだ「アポリア」を、論証ぬきに「自明の理」「既定の前提」として、そのうえに展開されている。この論法は、立証されるべき結論を前提として立論するpetitio principii[原理請求]ではないか。羽入は、羽入書第四章でヴェーバーに(じつは「濡れ衣」として)帰している当のpetitio principiiを、ここでみずから犯しているのではないか。(2004年9月20日記、つづく)
[1] 羽入書第一章で、羽入は、この「古い」につき、原文の比較級älterを読み落とし、「『古い英訳聖書では』と総称的に述べた」(37)と読み誤り、カトリックの「ドゥエ聖書」(1609/10)がbusiness でなくworkeと訳している事実を挙げて、これをヴェーバーは「杜撰」にも「看過」している、と決めつけている。羽入自身の杜撰による「ヴェーバー杜撰説」捏造の一例である。
[2] 羽入書第一章で、同じ箇所を引用したさいにも、羽入は、つぎのように前置きしている。「ベンジャミン・フランクリンが『自伝』において引用した聖書の句から『倫理』論文の全論証構造のキー・ワードとなる[!?]言葉、“Beruf”を引き出した時ヴェーバーは、ルターが当該の『箴言』22: 29の箇所を、“Beruf”でなく“Geschäft”で訳してしまっており[!?]、また古英訳聖書においても当該の箇所は“calling”でなく“business”で訳されているという、自分の立論にとっていささか不都合な[!?]事態に関して、注で次のように触れざるを得ない羽目[!?]となった」(36)と。「思い込み」は恐ろしい、というほかはない。
[3] この比較級を、「倫理」論文の「全論証構造」とむすびつけ、そのコンテクストのなかで読むと、「『比較的古い』とは、ルターと同時代ないし直後、せいぜい16世紀末までのことで、『禁欲的プロテスタンティズム』の大衆宗教性において『確証問題への関心』がたかまり、たとえばバクスターが、ルター/ルター派における『伝統主義』の域を越えて『職業労働』の意義を説き、『神の道具』としての『禁欲』実践によって自分が『恩恵の地位』にあることを『確証』する場、という意味を与える、それ以前」と解されよう。
[4] この全六段の叙述にかんする筆者の解釈は、本コーナー掲載「マックス・ヴェーバーのBeruf論」で全面的に展開されている。